山形地方裁判所 昭和23年(行)27号 判決 1949年5月06日
主文
原告保科政之助、同保科佐太郎、同仁藤善七の各訴はこれを却下する。
原告三浦五郎、同田中一策の各請求はこれを棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
一、請求の趣旨並びにその原因
原告ら訴訟代理人は、「被告が原告らに対してなした別紙第一、第二目録記載の買収処分に於ける買収対価を、それぞれ、同目録請求対価欄記載の如く、変更する。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決を求め、その請求原因として左の通り陳述した。
被告は自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)に基いて、別紙第一、第二目録記載の通り、原告等の農地(原告仁藤善七については未墾地として山林、原野)をそれぞれ同目録記載の通りの対価を以て買収する旨の処分をなし、原告らにその買収令書をそれぞれ同目録記載の日に交付した。
右買収処分に於ける対価は自創法第六条第三項の規定するところに依りそれぞれ、その最高価格により定められたものではあるけれども、同条項に定める買収の対価、即ち田について言へば、地租法に依る賃貸価格の四十倍の範囲内の価格は右買収当時に於ける経済事情から見て相当な価格であるとは言へない。何となれば、憲法第二十九条には「財産権は、これを侵してはならない。私有財産は正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる」と規定し、正当な補償をしなければ、私人の財産権を侵害することができない旨を明定し以て私人の財産権を保障している。憲法にいふ正当な補償とは私人財産を公のために徴収するについての対価であるから、その徴収当時に於ける一般経済事情を考慮して、公平妥当に決定すべきことは言をまたない。然るに、自創法第六条に定める賃貸価格の四十倍といふ価格が憲法にいう正当な補償に該当するか否かは、専ら買収当時に於ける経済事情から見て相当な対価に該当するか否かにより決すべき問題である。
或る時期に於て正当な補償と言い得るに十分な価格であつても、他の時期には経済事情の変化によつて正当な補償たるには足りないことがあり得るのであつて、買収処分の当時に於ける経済事情を基準として正当な補償か否かを決定すべきものである。自創法第六条が買収農地の対価は、之を賃貸価格の四十倍の範囲内に於て定むべきものとなした根拠を、政府が公表した資料によつて見ると、反当玄米実収量を二石とし、これを基準として収支計算を行い、自作農が収得する純収益金を算出し、之を国債利廻により逆算して、自作農が有する反当経済価値即ち自作収益価格なるものが金七百五十七円余なることを算定し、この金額が標準賃貸価格金十九円一銭の約四十倍に該当するということに在るのである。
然るに、右収支計算の内容として掲げられた事項の中、単に収入の部のみについてこれを見るも、米価はいづれも政府が任意に法令により定めた政府の買上価格又は消費者価格等を標準として居るものであるが、これは憲法の規定する正当の補償なりや否やを解決するについての標準とはならないものである。
憲法第二十九条が正当な補償として保障する財産の価格とは経済界に於いて取引上認められる本質的経済価格を言うのであつて、法令により任意に定め、若くは制限せられた価格、又は斯くの如く定め若くは制限せうれた価格を基礎として算出せられた価格を言うものではない。
農地の自作収益価格及び地主採算価格を算定する基本的要素である収穫米の換価につき、右の如き不当なる価格を標準として農地の買収価格を定めることは、憲法の右法条に反するものと謂はねばならない。米の闇相場を以て直ちにその本質的経済価格なりと言うことは出来ないとするも、それは日本銀行券の発行数量、その他一般主要物資等の価格と比較する等合理的に決定すべきものであつて、決して特殊の目的を以て政府が任意に定めた生産者価格、地主価格、又は消費者価格等を以てそのままこれに当てはむべきものではない。米の本質的経済価格を算定することが相当困難であることは認められるけれ共、さればとて、このために自創法が買収農地の対価算定の基礎とした米価が正当なものであるとする理由とはならない。自創法に規定する買収価格は、その価格算出後に於ける経済事情の激変を少しも考慮に入れることを予定していないため、田一反の買収対価が鮭三尾の代価にも及ばないというが如き奇怪なる結果となり、その対価は今日の経済事情よりすれば、殆んど名目上のものたるに止まり、実質上は無償で取上げられたと異るところなき事態となつているのである。
以上述べるところにより、自ら明らかであると思うが、新憲法施行後の解釈としては、自創法第六条所定の買収価格は、対価の一応の標準を示したに止り、具体的の場合には、同条所定の対価が果して公正妥当のものであるか否かを判断した上補償額を算出すべきものと信ずる。
茲に於て、原告らは本訴により自創法第十四条に基き、買収対価の是正変更を求める次第であるが、今原告等の主張する請求対価の計算基礎について説明すれば、次の通りである。
原告らは農地の買収対価の算出に当つては、地主の実収小作料から公租公課等の諸費用を控除した額、即ち、地主収益価格によるのが最も公正なものと信ずる。而して実収小作料の算定に当つては買収当時の米価を基礎としなければ憲法第二十九条の正当の補償たるに相応しい対価は出て来ない。
而して、本件農地買収当時即ち昭和二十二年度の生産者三等米一石当りの価格は千七百四十三円五十銭となつている。この米価を基準として、政府が自創法による買収対価決定の諸条件として採用している数字、即ち、
(イ)米の反当り実収高、二石(五ケ年平均)
(ロ)基準小作料、三割九分(適正小作料)
(ハ)地主の反当り公租公課等の負担額、六円八十九銭
(ニ)国債利廻、三分六厘八毛
(ホ)田と畑との売買比率、五割九分
をそのまま使用すれば、中庸田の反当りの価格は
〔1743円50×(2石×0.39)-6円89〕÷0.368=36,767円39
となり、中庸畑の反当り価格は、
36,767円39×0.59=21,692円76
となる次第である、
即ち原告らは田については、一反歩当り金三万六千七百六十七円三十九銭、畑については、一反歩当り金二万一千六百九十二円七十六銭の割合で算出した金額を正当な買収対価として主張するものであるが、請求の趣旨記載の請求対価はその内金を記載したものである。
二、当事者変更に対する被告の異議とこれに対する原告側の見解。
被告は、「原告らは、昭和二十三年十一月五日の本件口頭弁論期日に於て、従来の被告山形県知事を被告国に変更する旨の申立をなしたが、行政事件訴訟特例法(以下単に行政特例法と略称する)第七条によれば、被告とすべき行政庁を誤つたときは云々とあるので右行政庁の中には国は包含せられないものと解すべきである。従つて本来国を被告とすべきところを誤つて行政庁たる山形県知事を被告とした本件の場合には、同法第七条の規定は適用なく、従つて被告の変更は許すべきでない。」と主張し、尚、被告は昭和二十三年十二月十日の本件口頭弁論期日に於て、さきに同年十一月五日の本件口頭弁論期日(原告らが当事者の変更を申立てた日)に当日被告として出廷した山形県知事の訴訟代理人が原告らの右当事者変更につきなした同意を撤回する。と陳述した。
原告らは被告の右主張に対し、原告らの真意は当初より国を相手方として争う意思であつたが、誤つて山形県知事を被告としたものであり右被告の変更は行政特例法第七条により当然許さるべきものと信ずる。被告の前記同意の撤回には異議がある。と陳述した。
出訴期間についての被告の抗弁と原告らの主張。
被告は「本件中原告保科政之助、同保科佐太郎、同仁藤善七の訴は出訴期間を経過した不適法な訴であるから之を却下すべきものである。即ち、本件買収令書交付の日は原告保科政之助については昭和二十二年十一月十三日、同保科佐太郎については同年十一月二十一日、仁藤善七については同年七月一日であるところ、右原告らは何れも買収令書交付の日より一箇月間の出訴期間を経過して、原告保科政之助、同保科佐太郎は昭和二十三年一月十五日に、同仁藤善七は昭和二十二年十二月九日にそれぞれ本件訴を提起したものである。」と主張し、
右抗弁に対し、同原告らは、
本件買収令書交付の日は前記請求原因の項記載の通りであるから、本訴はいづれも出訴期間内に提起されたもので被告の抗弁は失当である。仮りに買収令書交付の日が原告ら主張の通りでないとしても被告は昭和二十三年三月一日(本訴が昭和二十三年(行)第二号、及び昭和二十二年(ワ)第八五号として当裁判所に繋属中)の口頭弁論期日に、被告は買収令書受領の日が原告主張の通りであることを自白し、本件がその後適法に被告の変更をみたのであるから、右自白は被告変更後の国(現在の被告)をも拘束するものである。然るにも拘らず、今被告が前記出訴期間についての前記抗弁を提出することは、つまり自白の撤回をすることに帰する次第であり、果して然らば、原告らは被告の右自白撤回には異議があり、その撤回は認めるべきものではない。結局いづれの点よりするも、被告の出訴期間についての前記抗弁は排斥すべき次第である。
四、請求原因に対する被告の答弁
被告訴訟代理人は原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする旨の判決を求め、原告らの請求原因に対し、左の通り陳述した。
(イ)本件農地が、もと原告らの所有であつたこと、被告が原告らに右農地について原告ら主張のような対価並に発行日附の買収令書を交付し、原告保科政之助同保科佐太郎同仁藤善七を除くその余の原告らがその主張の日に之を受領したこと、(原告保科政之助同保科佐太郎同仁藤善七の買収令書受領の日について被告が之を争うことは前記三、出訴期間についての被告の抗弁の項参照)本件買収対価が、自創法第六条第三項の規定による最高価格であること、並びに同条所定の田の買収対価算定の根拠が原告らの主張の通りであることは認めるが、その余の点はすべて之を争う。
(ロ)本件土地の各買収対価は自創法第六条第三項所定の倍率の範囲内に於て算定したものである。而して、同条所定の買収対価は、農地調整法(以下農調法と略称する)に定めた農地の公定売買価格と一致するものであるから本件買収対価は憲法第二十九条に所謂「正当な補償」というべく、原告ら主張の如く、公正妥当を欠く対価ではない。
(ハ)原告らは憲法第二十九条に所謂正当な補償とは、政府が法令により定めた価格、又は之を基礎として算定した価格を謂うのではなく、経済界に於て取引上認められる本質的経済価格を指称するのである。と強調しているけれ共、そのような価格は現実には存在しないものである。前述の通り農地については農調法によりその売買価格が法定せられて居り、此の外に闇価格の行はれていることは被告も亦認めるところであるが、原告らと雖も、此の闇価格を主張するものでないことは又自ら認めるところであるから、原告ら主張の本質的経済価格なるものは、要するに、法定価格でもなく、闇価格でもない架空の価格であつて、到底容認できないものである。
(ニ)原告らは自創法に規定する買収価格はその価格算出後に於ける経済事情の激変を少しも考慮に入れることを予定していないから、物価激騰の今日に於ては自創法に基く買収価格は不当である。と論難しているけれ共、右の見解は正しくない。即ち自創法制定後諸物価が高騰したことは被告も亦これを認めるところである。然し乍ら、農地は自創法制定以前既に農調法により農地価格、並びに小作料の統制、小作料の金納化、小作地引上の制限禁止、使用目的変更の制限等が規定され、農地所有権の内容は、従来の観念とは全く一変し、地主側より観れば、単に農調法によつて統制された金銭的小作料を収納する財産権と化していたものである。従つてその性格は恰も元金に対して利息を収納する預金若しくは国債証券と類似するに至つた次第であり、これらの預金、国債証券の価格が物価の変動と共にその価格を変更しないと同様農地価格も亦之を引上げるべき理由はないものである。又物価政策からしても、統制経済の行はれている我国に於ては合理的に物価体系を樹立運営すべきであり、他の物価はインフレーシヨンによる生産費の騰貴以外、特別の理由のない限り、之を引上ぐべきではく、農地価格も、インフレーシヨン阻止という我国の重要政策からみても、他物価を引上げることあるも、これを引上ぐべきではない。況や農地価格は全物価体系の基調をなすものであるから、尚更引上げてはならぬ次第である若し之に反するときは、国家財政は破局に陥るべく、かくては農民の負担は増大し、農村の民主化、生産力の増強は不可能となり、物価体系は混乱し結局公共の福祉を阻害することが甚しくなる次第である。元来、買収価格を一定した理由は、農地の買収計画は、これを原則として、昭和二十五年十一月二十三日の現況に遡及せしめることとし、手続の遅延による不公平を除去し、インフレーシヨンの昂進に伴う国庫支出の激増を防止し又農地を買受ける耕作農民が過大な代金支払によりその生産力に支障を来すことを防止したためであり、これが公共の福祉のための政策であることは、一点の疑がない。
(ホ)又自創法が買収対価算出の根拠として自作収益価格を採用し地主採算価格によらなかつたのは、農調法により、前記の通り農地価格及び小作料の統制、小作料の金納化、小作地引上の制限禁止、使用目的の変更に対する制限等、諸統制をすることとなつたため、農地所有権の内容は、現在耕作する者が自ら使用収益することを本質とする財産権又は所有者が小作料を収納するだけの財産権と化したが為であり、農地改革の精神からも、働く農民が自己の農地を耕作する場合の価格によることが当然であると言へるし、しかも、地主採算価格は自作収益価格より低くかるべきであるに拘らず、我国に於ける小作は諸外国の小作料よりも高く、その最低生活を営む経費以外は全収益を小作料として支払ふといふのが普通の状態で、時には小作人の労働力の再生産費にさへ喰込む程高率であつたので、働く農民の自作収益価格より働かない地主の採算価格の方が高くなつていた。この不合理を克服するためにも自作収益価格を採用するのは正しいのである。
(ヘ)最後に我国は降伏後連合国最高司令部の管理下にあるところ第二次農地改革法案を国会に於て審議中、昭和二十年十二月九日最高司令官は農地改革についての覚書を発表し、「日本政府は農村民主化に対する経済的障害を除去し、個人の尊厳を全からしめ、且つ、数世紀に亘る封建的圧制の下に農民を奴隷化して来た経済的桎〓を打破するため、小作人に相応する年賦償還による小作人の農地買収制を設くべきこと」を指示し、
又、昭和二十一年五月二十九日第六回対日理事会に於て農地問題に関し、ソ聯代表は「田は一反歩平均四百四十円以下、畑は一反歩平均二百六十円以下たること、昭和二十年十二月二日以後の土地売買その他土地の委譲は一切無効と看做すこと」等、英国代表は「田一反歩二百二十円、畑一反歩百三十円の政府補助金は土地価格を高く吊上げることになるから、好ましくないこと、小作人の購入代金は二十四年間以上の公債で地主に支払うこと、十年以上に亘る地主への支払を認めることは前貸の不当に膨脹することを防止するものである。本計画規定は昭和二十年十二月八日現在の土地に適用するもので、右時期以後に於ける売買名義のみによる地主の耕作等はすべて承認せざること」等の各提案があつた。又昭和二十一年八月十四日最高司令官の声明は自創法案及び農調法改正法案に対し、「日本政府が決定した農地改革案を検討し満足した。日本政府が古い地主制度の根底を衝くために勇気し決断を示したことは慶賀に堪えない日本政府が採決し承認したこれらの改革案がこれ迄数百万の農民の勤労を搾取し続けた封建的地主制度の害毒を日本農村から一掃することを確信する。日本の安定と福祉に寄与すべきこの改革案に対し、裏書を与へるものである。」と発表し更に又右法案の国会通過に当り、同年十月十一日「農地改革法の各条項及び日本の国会が多数で、この法案を承認したこと、又日本政府がこの計画を二ケ年以内に実行するという意図を示していること、これらのことは極めて、広範囲な又極めて解決困難な問題を勇敢に取扱はれていることを証拠立てている。」と発表した。又昭和二十四年二月四日最高司令官の農地改革に関する覚書は「農地改革計画の実施は日本に純然たる自由で且つ民主的な社会を創設するための先決要件である。本改革の迅速果敢なる実施は不可欠な至上命令である」と明言した。故に、農地価格を法定し且つ米価の引上にも拘らず農地価格を据置き、昭和二十年十一月二十三日の現況で農地の買収計画を遂行することは連合国最高司令官の意図にも合致する次第である。
(ト)勿論自創法及び農調法は憲法施行後制定せられたものだが、憲法施行によつて排除せられるものでないことは明白であり、ボツダム宣言受諾が憲法第二十九条により誠実に遵守せらるべきことも当然であつて、農地価格を固定し、且つ、米価を引上げたにも拘らず農地価格を据置き、昭和二十年十一月二十三日の現況に於て農地の買収計画を実施することは、適切妥当なる農地改革の遂行であると断ぜざるを得ない。
従つて、原告等の農地に対する被告の買収処分に於ける買収対価は正当な補償であつて、何ら憲法第二十九条に違背するものではないのである。
五、証拠(省略)